7日目 満行日
昨日からの断食断水にもかかわらず、今日は朝からすっきりしていた。
断食の朝というのは、なんとなくつまった感じがするときがあるのだがそれは全くなく、快調でした。
気負うことなく朝から行ができました。
普通に悟りたいという思いにどうやったら近づけるのか?
普通に悟るとはどんな風なのか?
考えていましたが、結局、気負わず、自分の今に正直に、そして無理に悟ろうとしないことなのだと思っていました。
無理に悟ろうとしないで、どうやって悟るのか?
それはやはり「衆生本来仏なり」が大きなヒントになるのだと思いました。
本来仏であるのであれば、仏である自分が感じられれば良いのだと思ったのです。
無理に悟ろう!というのではなく、感じること。
自分を感じれば、そこに仏が見えてくるはずだ。
だから感じていようと思いました。
そして、その仏が見えてきたらそれに任せよう!と思っていました。
そんな気持ちでいたら、わりと自然に行に臨むことができました。
最終日だからこそ、あせらずこの感覚を大事にしたいとも思っていました。
そうして朝の座に臨んだのですが、やはり僕はよくても一緒に断食している参加者はそうはいかない。体調の問題もありますし、気持ちだって僕みたいに最初からなれない。
最終日の朝というのはなかなか体力的にも気力的にも辛い面があります。
渡辺君は少しフラフラに見える。
でもここで、どう気を保つか?は修行の良し悪しにかかってきます。そして気をたもてば力を戴ける場合もあるのですが、気を保てないと戴けなくなってしまいます。
中途半端はこういう時は一番いけないのですね。
ですから、朝の座が終わった後、ミーティングをしました。
そして行に臨む覚悟について話しました。
「私は行に臨むにあたっては、すべてを仏にまかしている。もし、行の途中で死んでしまうようなことがあってもかまわない。行中は何があっても仏が導いたこととして受け入れる」という思いでいつも行をしていることを語りました。
そして、今回の行は例年にくらべて特別に暑く、汗も多くかいているのである意味危険だから、もし体力的に自信がないならリタイヤしてほしい。もし覚悟あるなら、なにがあっても続けよう!ということで皆の意思を再確認しました。
心配していましたが、皆、行を続けるということだったのでそのまま一緒に行をすることにしました。こんな時は意志を確認することによって、お互いの意識がクリアーになりますが、それはとても重要なことです。なんとなくその辺があいまいになっていると良くないので、敢えて話しました。皆その後は、お互い確認しあってすっきりしたようです。
そして、この断食行を必要以上に特別なものと思わないでほしいことも伝えました。
普通に悟ることこそ大事なことです。たしかに断食は普通とは違うのですが、普通を良く知るためにちょっと違う視点をもつ!という思いですることが大切です。
本来仏である自分をいかに深くかんじるか?が問題なのです。ですから、普段と違う特別な自分になってしまっては何の意味もないと思うのです。
ですから、あくまでも普通にそして、いつもは邪魔をしているものを断食で抑えておいて、その間にクリアーに本質を見てしまおう!ということだと思うのです。
そんなわけで、行に臨む意思確認をして、普通に悟ろう!のメッセージを伝えて行を続けることにしました。
そうなると行もスムーズです。
どんどん進んでいきます。僕も自分の内面を仏との一体感を保つことに集中できました。
集中さえできていれば、他に何もいらない。いや、仏との一体感を常に保ち、そのままでいれば、良い流れがきっとおこる。いや、もうすでにいい流れはあって、自分がそれにのって体現し繋げるものになればよいのだと思っていました。
すべてはきっと上手くいくさ!と普通に思えるようになっていました。
いよいよ最後の座です。
御縁の人も集まってくれています。
一緒に修行してきた皆も気力充分です。
いよいよ最後なのだという思いがお堂のテンションを引き締めています。
そんな心地よい雰囲気の中、清々しく入堂しました。
そして、護摩を修し始めました。
始めた当初から、今回こそは本気で仏を呼び、その力を通そうという気に、自然となりました。最後の力とは素晴しいものです。もう、成り行きで集中力が高まってしまいます。そんな集中力に乗って良い感じで護摩を進めました。
皆もご真言を本気で唱えてくれています。
御縁の方々も大きな声でご真言を唱えてくれています。
堂内は力強い調和の声が響き渡っていました。
なんともありがたい。このご真言の調和の響きそのものが、お不動様・ご真言そのものなのかもしれません。その中で護摩を修せるなんてこんなに幸せなことはないです。
全てを、そのお不動様にまかせ、その力強さ、大きさ、偉大さ、優しさを一身に感じていました。そうしたら、体も自然に動くし、真言も自然と出てくる、思いはお不動様と一つでした。もう、素晴らしい一体感。すべてを任せて、無尽蔵の力強さの中にいました。
炎はどこまでも高く昇っていくようで、自分の悩みなどなんの役に立たないほど炎は力強く、明らかに智慧の炎の偉大さを感じました。ありがたかった!私のすべてはそこに溶けていくようでした。自分などもう無くなってしまうようでしたが、仏と一体だという実感はありました。クライマックスでは皆のご真言の声も一体となり、護摩の力が世界に流れだしていくようでした。仏と一体であること以外なにもないという感じになりました。
そうしたら、初めて平成12年の5月に21箇座の護摩修行をして、大祭の時に初め皆の前で護摩修行をした時のことを思い出しました。その時は、あまりの緊張とありあまる若い力と、21箇座修行した思いとがあいまって、自分を失くして無心で大声でご真言を唱え修法し、本当に何も覚えていないくらい夢中で、あまりにも凄い炎で、訳がわからないまま護摩が終わったのだけれども、信じられないくらい爽快だったという思い出あります。あまりの経験で自分の理解をはるかに超えていて、その経験を理解する為にさらに行にのめりこんでいったという経緯もありました。今回、おそらくその時と同じ境地に冷静にたつことができた。少なくても自分が仏と一体であるという自覚を持って同じ気持ちになれたことが何とも嬉しかったです。
素晴らしい気持ちで21箇座断食護摩修行を満行しました。
7 generations walkが終わって、すぐこの修行にはいりましたが、全てに区切りがついた感じでした。本当の意味でゴールした気持ちになりました。
そして、今日からまた始めるんだという気持ちになりました。
やはり有難い気持ちになりました。
そして、護摩修行で自分が得てきたこと、7 generations walkで伝えたかったこと、これから自分がすべきことが全て繋がりクリアーになりました。
お不動様とご真言に導かれ、仏との一体感を通して今まで自分が得てきた力、7 generations walkを歩かせてくれた力、いま世界で失われようとしている力と自分は常に共にあり、その力そのものがいつもこの世界に存在し注がれて続けているということを実感し、自分や人や全てはその存在そのものであるということを確信しました。
その力は名前を越えた領域にあるので、僕たちは仮に仏の力と名づけたりしています。その偉大な力を自分なりに「命の力」と思うことにしました。
私は今後この「命の力」と一体となりすべてをまかせよう
という気になりました。その力を常に通していく為に修行し歌い歩こう!と思っています。
その後、修行者にも感想を述べてもらいました。みな一様にスッキリした感じが嬉しかった。御縁の方々にも感想を聞きましたが、皆のスッキリした様子もさらに清々しかった。皆の迷いが吹き飛んだ感じでした。そして、記念撮影のために扉を開くと、外も清々しく晴れている。太陽に照らされながら写真をとりました。浄土にいる気分でしたよ。
雨上がりの太陽はあまりにも気持ち良く、世界は輝いていました。
いや〜〜すっきりしました。今もすっきりしています。シンプルかつクリア―になった分動じなくなってきました。
今日からまた同じ気持ちで行きたいです。
ありがとうございました。
全てに感謝して、仏と共にある毎日を祈ります。
合掌